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9月14日

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放射能汚染水海中漏れのニュースが世界中に流れる中、2020年のオリンピックの東京開催が決定したことは驚きでした。

マドリードの経済状態がどれだけひどいのか知りませんが、イスタンブールが落ちたのはお隣が内戦状態のシリアで化学兵器の使用が

取り沙汰されていたからだろうと思っています。

何はともあれ、沈没気味の日本に明るい話題が加わったのはいいことだと思うことにやぶさかでないつもりの私ですが、

その後のオリンピック決定の報道の過剰さや、その招致活動での安倍総理の「原発事故は完全にコントロールされている」というハッタリ言動への

いくつかの批判に対し、大衆からの「明るい話題の時に水を注すようなことを言うな!」というような発言が多く出ていることにゲンナリしています。

 

戦時中、フィリピンでの勝ち目のない状態で戦場に送られ、無能な上官の無謀な指示で同胞の命が多く無駄に散らざるを得なかったことを教訓にと

戦後多くの日本軍研究の本を出版した山本七平の著書に「空気の研究」という本があります。

 

この本の趣旨をざっくりいうと、“日本人は、客観的状況分析よりも、そのときの気分で物事を判断する(だから戦いに負ける)”というものです。

戦争末期の昭和19年になると、各地の戦場で日本軍は敗退を続け、戦闘機を始め武器も燃料も満足になく、フィリピンや中国戦線に兵士を送る時でも

銃器すら人数分配給できなかった(手ぶらで戦場へ送り込まれた)状態でした。

制空権も制海権も奪われ、本土決戦しかない、ということで兵士に取られず国内に残る女性や老人には軍事教練として竹槍の訓練が行われたそうです。

「本土決戦」「一億総玉砕」とかいう言葉が躍る中、「竹槍はB29に届かない」などと(本当の客観的なことを)つぶやけば、

「非国民!」として糾弾される雰囲気だったそうです.

 

日本軍の各部隊は、(物量的なことが主な原因で)勝ち目がないとわかると各地でバンザイ攻撃という(客観的に考えれば)無理無謀な自殺行為を

進んで行ったそうです。「生きて帰る汚名をさらすまじ」という“気分(雰囲気)”を重視したからだとしか思えません

 

私は、山本七平氏のペンを借りて、あの戦争で戦った日本軍人たちの残してくれた教訓から学ばなければならないことは

「人は自分にとって心地いい情報だけを集めて世界を構築したがり、その中で満足しがちだが、客観的に敵を知り、己を知ることなしに

今後世界で生き残っていくことは難しい」と、いうことだろうと思います

 

「空気の研究」から一部抜き出してみましょう。

これは最初に記した「先立つものがネェなぁ」と同じで、その「空気」を一瞬で雲散霧消してしまう「水」だから、

たとえ本人がそれを正しい意味の軍国主義の立場から口にしても、その行為は非国民とされても不思議ではないのである。

これは舞台の女形を指して「男だ、男だ」と言うようなものだから、劇場の外へ退場させざるを得ない。

そしてこれらの言葉=水の背後にあるものは、その人も言われている人も含めての、

通常性行動を指しているわけだから、この言葉は嘘偽りではなく事実なのだが“真実”ではないと言うことになるわけである。

この行為が日本を破滅させたということは、口にしなくても当時はすべての人に実感できたから、

「水を差す自由」こそ「自由」で、これを失ったら大変だと人々が感じたことも不思議ではなかった。

 

戦時中の逼迫した状況の中で、そうした雰囲気重視、気分重視の判断、言論が横行するのは今の世の中でも何も変わっていない、ということを

今回の東京オリンピック決定騒ぎでは痛感させられ、うんざりしています。